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2007-04-19(Thu)

「表現する気がない人のためのWeb2.0」は順調に進行しているようだ

| 23:27 | 「表現する気がない人のためのWeb2.0」は順調に進行しているようだ - 浅倉卓司@blog風味? を含むブックマーク 「表現する気がない人のためのWeb2.0」は順調に進行しているようだ - 浅倉卓司@blog風味? のブックマークコメント

――と、Twitterの流行(らしきもの)を見ていて思った。

 それを見る人の事はあまり考慮されていない点は変わってないようだけど。


 変わってないといえばコミュニケーションのなさも改善される様子はないっぽい。そのあたりを気にしてる人は少なそうだから*1仕方ないけれど。

 ひとりの表現を増やすよりコミュニケーションによってネタを増やす方向に行ったほうがいいと思うんだけどなぁ。僕が考えたようなモノは流行らないにしても、コミュニケーションのコストを下げつつ充実させるようにはならないものかしらん*2

*1:あるいはSNSみたいなものをコミュニケーションだと思っているか。

*2:早くて2~3年後かねぇ。

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2006-03-23(Thu)

「表現」が増えるわけじゃなくて、「全ての表現がウェブに集まる」ってことなのですね

| 00:02 |  「表現」が増えるわけじゃなくて、「全ての表現がウェブに集まる」ってことなのですね - 浅倉卓司@blog風味? を含むブックマーク  「表現」が増えるわけじゃなくて、「全ての表現がウェブに集まる」ってことなのですね - 浅倉卓司@blog風味? のブックマークコメント

 ちくまのサイトに梅田さんのインタビューがあるというので*1読んだら、

この本のなかに、注意深く、「芸術的な領域を除けば」というフレーズを入れておいたのですが(『ウェブ進化論』第四章、138ページ)、その領域(の総表現社会)は、もうすでにあったのではないかと思います。出版社を頂点としたシステムがあり、そこにはいろいろなもの(小説)が送られてきて、それを読み評価するのが編集者の仕事、ということだったと思います。

■「総表現社会」と出版社

――なんてコメントしてるじゃないですか。つまり「総表現社会」の「表現」という言葉は、誤解されるだろうと認識した上で使っているわけですね。ひどいや(笑)。


 「表現する人」や「表現」そのものの数が増えわけじゃなくて「今まで目にすることのなかった表現が見えてしまう」って話なんですね。「総表現社会」というのは「全ての(表現したい)人が表現する社会」ではなくて、「全ての表現がウェブに集まってくる社会」という意味なんでしょう。そういう風に書いてある気もするけど、もしこの理解で正しいとすれば分かりにくすぎると思います*2


 そして増えた表現はGoogleを始めとするテクノロジー企業が「そこにはいろいろなもの(小説)が送られてきて、それを読み評価するのが編集者の仕事」をするようになるだろう、というのが梅田さんの主張なのだと思いますし、それは確かにある程度はそうかなと思います。

 でも僕は梅田さんの視点には欠けている致命的な何かがある気がしてるんですよね……。

*1http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060317/p1

*2:そうでもない? 勘違いしてたのは僕だけ?

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2006-03-07(Tue)

「総表現社会」って「表現したい人がみんな表現できる社会」ってことで、「表現をみる人」のことは考慮の外なのですね。

| 00:46 |  「総表現社会」って「表現したい人がみんな表現できる社会」ってことで、「表現をみる人」のことは考慮の外なのですね。 - 浅倉卓司@blog風味? を含むブックマーク  「総表現社会」って「表現したい人がみんな表現できる社会」ってことで、「表現をみる人」のことは考慮の外なのですね。 - 浅倉卓司@blog風味? のブックマークコメント

 ぼちぼち『ウェブ進化論』を読んでいて、ようやく「総表現社会」のトコまで読みました。

 結局のところ「総表現社会」っていうのは「表現したい人がみんな表現できる社会」ってことなのですね。

 うーん、想像してたよりつまんない話だった。

 だってさ、パソコン通信時代から「ネットにやってきた人は一定比率で表現してた」わけでしょ。インターネット時代になって「ネットにやってきた人が増えた=表現する人が増えた」程度ではあんまりインパクトないですよ。

 だからてっきり「あらゆる人が表現するようになる社会」っていう想像もつかない話でも書いてるのかと思って期待してたのに。

 それに「表現したい人が表現できる」ってのもまあ確かに凄いことではあるのかもしれないけれど、その何十倍も存在する「表現したくない人」にとってどんな意味があるのかが書かれてないのはちょっと不親切のような気がしました*1


 そもそも表現を見る人にとっては「総表現社会」なんてどうでもいいことじゃないですか。表現の絶対数が増えれば良い表現が増えるって話にもっていきたいのかもしれないけど、全然そんな気がしないんですよね。あくまで僕の過去の体験による感覚なので、うまく説明できないけど。

 「表現したものの淘汰のされ方」は確かに変わってきたけれど、表現されたものの価値とか絶対数とかは変わってないというか。

 このあたりはnoriyoさんの言うところの

いくらWeb2.0フレームワークが整おうが、それはアウトプットの敷居を下げるだけであって、人間がアウトプットするために必要なインプット作業のほうは、いまだ古典的な努力が必要だからです(本を読む、人と議論する、自分と意見を異にする人たちの話を聴く・・・などなど)。

っていうことと関係してるのかもしれません。


 こういうことを書くと「RSSが」「Folksonomyが」とかいう話になりそうな気がするんだけれど、あのへんは表現する側であるところの「編集」に便利なのであって「みる」のに便利じゃない気がするんですよ。

 個人的には「あまり興味のないモノを自然に『みる』ことができる」ようにならんかなと思ってるんですけどね。

*1:全部読むと書いてたりするのかもしれないけど。

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